雑誌社から超長期住宅のコンセプトについて
2000字程度の原稿依頼が来ました。
書き始めたらなかなか建物の話に行き着かない・・・
雑誌社さんからは、
「概評にあることを中心に書いて下さい」と言われていますので
論点がずれまくっている。
たぶんボツになるので、こちらに載せてしまおう(笑)
読んで下さい。
これまで多くの家づくりに関わってきたが、構造的に危険だからと言う理由で建替えられた家はあまりない。家が壊される理由の多くは「狭い」「住みにくい」「家族構成に合わない」等の機能的な問題によることが多いのである。建物には構造的耐久性と機能的耐久性があるが、機能性への配慮が足りない家は幾ら頑丈につくっても短命となることを意味している。
と、機能的耐久性の重要性をサラリと書いてはみたが、これが簡単に確保できる内容ではないのである。将来の家族構成の変化や、住宅設備の進化等将来起りうる劇的な変化をどうやって予測しすればいいのだろう。私はその方法を知らない。それなのに長く住み続けられている家がある。それらは機能的な耐久性が十分に備わっている家というより「住みにくいけど壊したくない(壊せない)家」となっているのではないだろうか。
最近読んだ本にこんなことが書かれてあった。
個人が自分らしい生き方を求め家族が解散へと向かった。住まいは多世代型住居から核家族型住居へ向かい、親族、地域社会の崩壊へと繋がっている。共同体を作ることは不愉快な隣人に耐えることを強いることを意味するのである。
(内田樹著「こんな日本でよかったね」より抜粋)
※ちなみに著者はこの現象を日本の国策という
核家族型住居とは解体の同意を得ることが容易な家である。
私は時々市街化調整区域(田舎の旧街道沿いや山の集落をイメージしよう)を散策する。どこかに出かけるときなどは意識して裏道を選ぶようにしている程の町並み好きなのである。そんなことを趣味にしていると、年に数回掘り出し物に出会えることがある。その町並みは時間が止まっているのかと錯覚するほど静かで、美しい。これらの地域は法律で新しい建物の建設が規制されている(これを市街化調整区域という)ため建物の多くが古くからの農家であることが多い。、敷地には奥行きがあり、ゆったりとした隣棟間隔も新興住宅地にはない魅力の一つといえる。そしてどの建物も古いのだが、背景の自然と調和した見事な町並みとなっているのである。
これらの集落には主に親族で構成される地域社会も健在で、ごく最近まで個人の好みで家をデザインすることすら認められていなかったのであろう。町並みを保存すると言うより、村社会独特の異端にならないようお互いに気を遣って生活してきた結果なのかも知れない。
偶然見つけた集落の中をゆっくりと移動する。たいてい自分以外動く物が無く、まるで時間が止まった中を彷徨うような浮遊感が体を包むことも少なくない。しかしこの感覚も長くは続かないのである。突如目の前に現れた場違いな(ここ数年の内に建てられたと思われる)建物により簡単に遮られるのだ。超が付くほど保守的な田舎の集落でさえ個人の自由が罷り通る時代なのである。
さて、最初の話に戻そう。「住みにくいけど壊したくない(壊せない)家」を作るためには、不愉快な共同体への帰属が重要となる話である。家の寿命を延ばすための最も重要な条件は多世代同居で「家を継ぐ」仕組みが維持されることではないだろうか。またへそ曲がりなことを言い出しやがったな等と思わずに聞いて欲しい。
親世代が個人の自己表現で建てた家が次の世代へと継がれるには、子ども世代に対して家への愛着を伝えなければならない。子ども世代にその建物が受け入れられることが最初の難関なのである。子ども世代にとっては、やっと巡ってきた自己表現のチャンスである。それをみすみす逃してまで住み継ぐ価値がそこに見いだせなければ、どんな大層なコンセプトで長寿命を謳ってみても絵に描いた餅である。ここが、構造的耐久性と機能的耐久性のみで超長期住宅を計画する限界点である。
これまで住んできた家を壊すためには少なくとも家族全員の同意が必要となるが、多世代同居という共同体の場合、これは容易ではない。これに親族、地域社会が関わってくると自分勝手な家づくりは絶望的になってくる。街道沿いの集落が美しい統一感を持っているのはそのためである。それがたとえ少数派でも共同体内に壊したくないと思う者があれば家の寿命は(極わずかかも知れないが)延びる。多世代同居型家族の場合核家族のそれに比べ大幅に延命の機会が増えるのである。なんだそんな理由かよと思われるかも知れないが、古い町並みの多くはそれらを受け継いでいて「住みにくいけど壊したくない(壊せない)家」となっている。おじいちゃんの目の黒いうちは壊せない」と言っていたら自分もおじいちゃんになっていたという、個人主義という価値観では計れない時間軸上での連鎖なのである。(ちょっと大袈裟かな)
「常陸の家」はその意味で恵まれた条件である。周囲には親戚も多く保存に値する古い町並みも残されてある。煩わしい共同体が今日も機能しているのである。建物を容易に壊せない(同意を得るのが厄介な)共同体である。かなりネガティブな表現だが、現在の価値観が個人主義を基準に作られているので仕方がないことと腹を括って読んで欲しい。
具体的な計画は、隣接する敷地に今ある建物を移築再生するもので、60年前からある風景の一部として違和感が無いことが計画で最も重要な条件である。設計者が古い町並みの保存に関わることで何が出来るのだろう。まずは設計者の気配を消す努力から始めようではないか。そして「住みにくい家」を「快適で住みやすい家」に変えていこう。それによって建物ががさらに延命できたら言うことがない。
今回のコンセプトで仕事を終えると建物は「詠み人知らずの家」になる。まあ、そもそも私がデザインしたわけではないのだからこれも仕方がないこと。(7/20 大幅に加筆修正)
この家が長期間快適であり続けるための技術論は次の話で、少し勉強すれば誰でも出来ることなので割愛。知りたい方はバックナンバーを探して下さい。
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追記:
日曜日は建物の詳細調査を行います。
梅雨明け万歳!
posted by TOY-order at 22:21|
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設計レポ_常陸の家
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